イタリア20州の食卓を巡る旅|第2回 ヴァッレ・ダオスタ州:アルプスの懐で生まれた、とろけるチーズと保存の知恵

前回のピエモンテ州からさらに北へ。窓の外に広がる景色は、なだらかな丘陵から険しくも美しいアルプスの高峰へと姿を変えます。
連載第2回は、イタリアで最も小さく、最も高い場所に位置するヴァッレ・ダオスタ州。雪に閉ざされる長い冬を越えるため、この地で磨かれたのは「保存と発酵」の知恵でした。とろりと溶けるチーズの香り、暖炉の火、そして厳しい自然と共生する人々の温かな食卓——。
Contents
ヴァッレ・ダオスタ州とは?アルプスに抱かれた小さな王国
フランスとスイスの国境に接するこの州は、まさに「アルプスの懐」にある特別な場所です。イタリアでありながらフランス語も公用語として使われ、文化も食も独自の色彩を放っています。
- 州都:アオスタ
- 位置:イタリア北西部・イタリア全20州の中で最も小さい州
- キーワード:モンテ・ビアンコ(モンブラン)、マッターホルン、フォンティーナチーズ、保存食、山岳文化
ピエモンテが「宮廷の洗練」なら、アオスタは「山岳民の知恵」。華やかさよりも、一口で力が湧いてくるような、素朴で力強い料理が主役です。この州をさらに個性的にしているのが、地名や料理の名前にフランス語とイタリア語が混ざり合うバイリンガルな雰囲気。山の向こうのフランスやスイスの文化が、自然と日常に溶け込んでいる感じがします。
一歩足を踏み入れると、そこにはフィレンツェなどの主要都市とは全く異なる世界が広がっています。フランスやスイスと国境を接するこの地は、食もワインも、アルプスの厳しい自然と共生する独自の文化が息づいています。
アオスタとローマの記憶
山深い地でありながら、州都アオスタには見事な凱旋門や円形劇場などのローマ遺跡が残っています。「北のローマ」とも呼ばれるこの街では、峻厳な自然と古代文明の静かなコントラストを楽しむことができます。石畳の街路を歩きながら、かつてここをローマの兵士たちが行き来していた光景に思いを馳せるのも、アオスタならではの旅の楽しみ方のひとつです。

アルプスが育てた「保存と発酵」の食文化
標高が高く、冬が長いヴァッレ・ダオスタにおいて、食料の確保は文字通り「生存戦略」でした。そこで発達したのが、栄養を凝縮して蓄える技術です。
州の宝、フォンティーナチーズとアルパッジョの物語
この州の食卓を語る上で欠かせないのが、DOP(原産地名称保護)認定のフォンティーナチーズです。アルプスの高地に豊富に生えている牧草だけを飼料として与えることで、独特な香りを放つ最高のチーズが取れると言われています。
フォンティーナの中でも特別な存在が、夏の高山牧草地(アルパッジョ)で育った牛のミルクだけを使った「フォンティーナ・ダルパッジョ」です。夏の間、標高の高い牧草地(アルペッジョ)で放牧された牛のミルクには、高山のハーブや花の香りが封じ込められています。牛たちが秋に山を下りてくる「デザルパ(Désalpe)」の祭りは、今もアオスタで大切に祝われる秋の風物詩。花飾りをつけた牛の群れが山道を下りてくる光景は、この州が今もいかに牛と牧草とともに生きているかを物語っています。

生産開始から3ヶ月は、塩と水で表面を洗うウォッシュ系チーズの工程を繰り返し、その後、徐々に間隔をあけていくうちに表皮は薄いオレンジ色、生地は象牙色から麦わら色へと変わり、濃厚な甘みと牧草の香りからは豊かな山の恵みを感じることができます。

ラルド・ダルナ DOP——ヨーロッパで唯一の認定ラルド
アオスタが誇るもう一つの傑作が、ヴァッレ・ダオスタ ラルド・ダルナ DOP(Vallée d’Aoste Lard d’Arnad DOP)です。豚の背脂を「ドワル(Doïls)」と呼ばれる栗・樫・唐松製の木桶に入れ、ローズマリー、セージ、ローリエ、ジュニパーベリー、ナツメグなど山のハーブや香辛料と一緒に最低3ヶ月かけて熟成させます。

この製法の歴史は非常に古く、1763年のアルナ城の目録には「4つの古いドワル」の記録が残っており、少なくとも2世紀以上前から続いてきた文化であることがわかっています。さらに遡ると、1570年の文書にはサントルソ修道院の修道士がラルドを貧しい人々に配ったという記録があるとされており、かつてこの土地の人々にとってラルドがいかに命をつなぐ大切な食べ物であったかが伝わってきます。
ヨーロッパでDOP認定を受けた唯一のラルドという事実も、この食品の特別さを物語っています。現在もアルナ村の入口のロータリーには、ドワルの木桶のオブジェが鎮座しており、村全体がラルドへの誇りを体現しています。
食べ方は薄くスライスして黒パンにのせ、地元産のハチミツを少し垂らすのが伝統的なスタイル。甘みと塩気の絶妙なコントラストが、一枚食べるとやみつきになるんだとか。
ヴァッレ・ダオスタを代表する郷土料理
厳しい寒さを吹き飛ばす、温かな山の幸をご紹介します。
🍲 フォンデュータ(Fonduta)
フォンティーナチーズに卵黄と牛乳を加え、なめらかに溶かしたアオスタ流チーズソース。パンや茹でたジャガイモに絡めていただきます。よく「チーズフォンデュに似ている」と言われますが、実はまったくの別物。スイス式フォンデュは白ワインで溶かしますが、フォンデュータはフォンティーナを牛乳で溶かして、さらにバターと卵黄を加えた、かなりこってりとしたチーズソースで、パンや野菜をソースに浸していただきます。フォンティーナは熟成が終わる冬頃にフォンデュータに使うのが最もよいとされ、ピエモンテのバーニャ・カウダと並ぶ、冬の団らんの主役です。

🍞 ズッパ・ヴァルペリーネ(Zuppa Valpellinentze)
「ズッパ(スープ)」という名ですが、実際はキャベツ、ライ麦パン、フォンティーナチーズを層にして焼き上げた、グラタンのようなボリューム満点の一皿。素朴ながら、素材の旨みが重なり合う深い味わいです。寒い山の夜に食べる熱々のズッパは、体の芯からじんわりと温めてくれます。

🌽 ポレンタ・コンチャ(Polenta Concia)
北イタリアの主食であるトウモロコシ粉の「ポレンタ」に、これでもかというほどチーズとバターを混ぜ込んだもの。山仕事で冷えた体を芯から温めてくれる、究極のソウルフードです。日本でいえばおかゆのような位置づけで、お腹の底からほっとする素朴な美味しさがあります。

🥩 コストレッタ・アッラ・ヴァルドスターナ(Costoletta alla Valdostana)
フォンティーナチーズと生ハムを仔牛肉に挟み、衣をつけてバターで焼き上げた一品。とろけるチーズが肉汁と絡み合う断面は、思わず写真を撮りたくなる美しさ。日本の洋食屋さんにある「チーズカツレツ」のルーツを辿れば、こういった山の料理に行き着くのかもしれません。

「英雄的栽培」から生まれる山のワインと、大人の食後酒
アオスタのワイン造りは、断崖絶壁のような急斜面に石垣を築いて行われます。機械が入れないためすべてが手作業。その過酷さから、現地のワイン造りは「ヴィーニュ・エロイック(英雄的栽培)」と呼ばれています。
郷土料理と合わせて楽しむ
この地域のワインは、高地ならではの美しい酸とミネラル感が特徴です。チーズn料理との相性は抜群で、濃厚な料理を軽やかにまとめてくれます。
なお、ヴァッレ・ダオスタは小規模で多様な生産が特徴のため、DOCG(最上位格付け)はありませんが、DOC(品質管理されたワイン)はしっかりと存在しています。その分個性豊かなワインが楽しめる魅力的な産地です。
DOCGとは、国が品質を保証する最上位格付けのこと。一方でDOCは、産地や製法などが厳しく管理されたワインを指します。
🍷 ブラン・ド・モルジェ・エ・ド・ラ・サッレ(Blanc de Morgex et de La Salle DOC)
ヨーロッパでも最高標高級の畑(標高900〜1,250m)で造られる白ワイン。この高地の冷涼な気候と砂礫質の土壌が、フィロキセラ(ブドウを壊滅させた害虫)の侵入を防いだため、世界的にはほぼ絶滅した「接ぎ木なしの原木」が今もここでは生き続けているという、世界でも稀な奇跡のワインです。キリッとした酸とミネラル感が、濃厚なチーズ料理を軽やかに流してくれます。
🍷 トッレット(Torrette DOC)
州を代表する赤。山のベリーのような爽やかさと、土のニュアンスが特徴です。フォンデュータや煮込み料理と合わせると、アオスタの食卓が完成します。
山の夜の締めくくり——ジェネピ(Génépy)
アオスタで食事の最後に欠かせないのが、ジェネピというハーブリキュール。アルプスに自生するヨモギ属のジェネピーの花をアルコールに浸し、砂糖のシロップを加えたリキュールで、アルコール度数は30〜42度とバリエーションがあります。標高1,450m以上に生息するヨモギ属の一種で、古代から伝わる処方箋で作られる消化を助けるリキュールです。
かつては自生地での採取が法律で厳しく制限され、心を許した友人との食卓にだけそっと出される秘蔵の一本でしたが、現在は標高1,400〜1,500m付近の畑での栽培も行われるようになり、より広く楽しまれるようになりました。ポレンタやフォンティーナチーズをベースにしたコクのあるアオスタの郷土料理を胃袋におさめた後の食後酒として口にするのがアオスタ流だそう。蜂蜜のような甘さとハーブの清涼感が、雪山の夜を静かに締めくくってくれます。
管理栄養士の視点|「生きるためのエネルギー」を読み解く
管理栄養士としてこの州の食事を見ると、その「機能性」に驚かされます。
効率的なエネルギー補給
脂質や炭水化物が多いのは、体温を維持し、山岳地帯での活動を支えるための生存戦略です。コクがある料理が多く、少量で満足できます。よく味わって食べたいお料理ばかりです。
フォンティーナチーズの栄養
良質なカルシウムとビタミンA、B12が豊富。特に加熱して食べるスタイルは、満足感を高め、食べ過ぎを防ぐ効果も期待できます。日本人は乳製品の摂取量が不足しがちなので、ぜひチーズ料理を取り入れたいところです。
ジェネピのハーブの力
ヨモギ属の薬草を使ったジェネピには、消化促進・胃の調子を整える作用があるとされており、中世から民間薬的な使われ方もしてきた歴史があります。食後に少量楽しむのは、理にかなった習慣です。
東京で楽しむ「アルプスの山小屋時間」
イタリア北西部の山岳地帯、ヴァッレ・ダオスタ。フォンティーナチーズやチーズ料理で知られるこの地域ですが、実は東京には専門レストランがほとんどありません。
しかし、ヴァッレ・ダオスタの食文化はスイスやフランスと深くつながっており、「アルプス文化」という視点で探すことで、東京でも十分にその魅力を体験できます。
神楽坂 ラクレット&フォンデュ フロマティック
神楽坂にある一戸建てのチーズ専門店。
フランス、サヴォワ地方の本格はチーズフォンデュをいただけます。サヴォワ地方とは国境を隔ていますが、かつては同じサヴォワ公国に属しており、乳製品を多用するアオスタの食文化もとても近いです。
ラクレットやチーズフォンデュはこれらの料理は、ヴァッレ・ダオスタの郷土料理「フォンデュータ」とも通じる部分があり、現地の雰囲気を感じることができます!
ヴァッレ・ダオスタ=アルプスのチーズ文化と捉えることで、ぐっと身近に感じられるはずです。
ぜひ東京でも、その魅力を体験してみてください。
自宅で再現!アルプスのごちそうお取り寄せ
おうちのテーブルを、一瞬で山小屋気分に変えるお取り寄せアイテムをご紹介します。
フォンティーナチーズ
ナッツようなコクとハチミツのような甘味。アオスタのチーズです。イタリア版チーズフォンデュには欠かせません。加熱するととろけるコクと旨味が特徴で、グラタンやリゾット、フォンデュなどに使われます。
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チーズ フォンティーナ D.O.P イタリア産 約500g 【100g当たり1140円(税込)で再計算】 おつまみ お取り寄せグルメ お取り寄せ パーティ 晩酌 家飲み 宅飲み おもてなし お酒 ワイン
ライ麦パン
保存性の高いライ麦パンはアオスタの主食。少し固くなったものをスープに浸すのが現地流なんだとか。ドイツなどの寒冷地のイメージが強いライ麦パンですが、アオスタでも食べられているそう。食物繊維やビタミンB群が高いのもポイントです。
ジェネピ
日本でも一部の酒販店やオンラインで手に入ります。食後に少量ストレートで。
まとめ|静寂の山が教えてくれる、豊かさの本質
ヴァッレ・ダオスタ州は、決して派手ではありません。しかし、限られた資源を大切に、時間をかけて熟成させ、仲間と分け合う食卓には、現代の私たちが忘れかけている「本物の豊かさ」があると思います。
1763年から変わらず伝統的に作られるラルド、夏の高山を駆け回った牛のミルクから生まれるチーズ、標高1,000m以上の畑で原木のまま生き続けるブドウの木——。アオスタの食はすべて、時間と自然への敬意でできています。
とろけるチーズを囲みながら、アルプスの静かな雪景色に思いを馳せてみませんか?
自然の豊かなアオスタ、いつか行ってみたいものです♪
次回は、ファッションと経済の中心地でありながら、リッチな乳製品文化を誇るロンバルディア州へ。ミラノの黄金色に輝くあの一皿が登場します。どうぞお楽しみに!
▶ 次の記事:【第3回】ロンバルディア編はこちら(近日公開)




